1日: 主を信じ、愛するように祈る

とりなしの祈り

主を信じることは、主を命として受け入れることです。主を愛することは、わたしたちが受け入れたこのパースンを享受することです。信仰が神によってわたしたちに与えられているのは、わたしたちが信仰によってキリストをわたしたちの命として受け入れるためです。愛は、このようなすばらしい信仰から出てくるものであって、わたしたちが、わたしたちの命としてのキリストの中で、三一の神の豊富すべてを生かし出すことができるようにします(Ⅱペテロ1:1.ヘブル12:1-2前半.Ⅱコリント4:13)。

[2022年10月国際長老責任者訓練 メッセージ1 アウトラインより]

Ⅱペテロ1:1

イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロから、わたしたちの神また救い主、イエス・キリストの義の中で、わたしたちと共に同じ尊い信仰を割り当てられている人たちへ.

 

ヘブル12:1

こういうわけで、こんなにも大勢の証し人である雲に囲まれているのですから、わたしたちも、あらゆる重荷と、いとも容易にまといつく罪をかなぐり捨てて、前に置かれているレースを、忍耐をもって走ろうではありませんか.

 

ヘブル12:2

わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい.彼はご自分の前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、そして神の御座の右に座しておられるのです。

 

Ⅱコリント4:13

また、「わたしは信じた.それゆえにわたしは語った」と書いてあるとおり、同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それゆえにまた語るのです。

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