30日: 命の中で王として支配して、新エルサレムへと至るように祈る

とりなしの祈り

わたしたちは命の中で王として支配しているとき、恵みとしての内住するキリストにわたしたちの内側で王として支配していただき、「永遠の命に至」ります。これが、命の中で王として支配することの究極的完成です。ヨハネ第4章14節後半は言います、「わたしが与える水は、その人の内で源泉となり、湧き上がって、永遠の命へと至るのである」。「へと至る(ローマ第5章21節では「に至る」)」は、目的地について語っています。永遠の命は流れる三一の神の目的地です。「へと至る」はまた、「となる(to become or to be)」を意味します。流れる三一の神、すなわち、命の源泉としての御父、命の泉としての御子、命の川としてのその霊を享受することによって、わたしたちはあふれるばかりの恵みを受けて、神の命の総合計としての新エルサレム、すなわち、命の都となりつつあります。こういうわけで、わたしたちが命の中で王として支配することの結果と究極的完成は、神の永遠のエコノミーの唯一で究極の目標である新エルサレムであるべきです(ヨハネ4:14後半.ヘブル4:16.ローマ5:17,21)。

[2022年7月定期訓練 メッセージ12 アウトラインより]

 

ヘブル4:16

ですから、わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、大胆に、恵みの御座に進み出ようではありませんか。

 

ローマ5:17

もし一人の違犯によって、死が一人を通して王として支配したなら、あふれるばかりの恵みとあふれるばかりの義の賜物を受ける者たちは、さらにいっそう一人の方、イエス・キリストを通して、命の中で王として支配します。

 

ローマ5:21

それは、罪が死の中で王として支配したように、恵みもまた義を通して王として支配し、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に至るためです。

 

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