12月31日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

啓示録22:20-21, 20節のノート1, 2, 21節のノート1, 3

「これらの事を証しする方が言われる、『しかり、わたしはすぐに来る』。アーメン。主イエスよ、来たりませ! 主イエスの恵みが、すべての聖徒たちと共にあるように。アーメン」。

「わたしはすぐに来る」。主がすぐに来られるとの警告は、啓示録の最後の章ではこれで三度目です。
啓示録第二二章二〇節後半は、主の警告に対する使徒ヨハネの祈りと応答です。それはまた、聖書における最後の祈りでもあります。この書の語りかけを聞いた後、わたしたちはみなこのような祈りと応答をすべきです―「主イエスよ、来たりませ!」。全聖書は、主の到来を切に待ち望む祈りの言葉で結んでいます。
啓示録のすべてのビジョンを見て、すべての予言を聞いた後も、わたしたちはやはり主の恵みが必要です。主イエスの恵みだけが、わたしたちに、これらのビジョンと予言にしたがって生きさせ、歩ませることができます。この書だけでなく全聖書も、この恵み、すなわち、すべてを含むキリストを経験させ、三一の神にあずからせる恵みをもって結んでいます。それは、わたしたちが神の永遠の目的を成就するために、彼の永遠の団体的表現となるためであり、また彼とわたしたちが永遠にわたって、全き満足と完全な安息を相互に享受するためです。
啓示録に啓示された最後の最も大きな項目である新エルサレムは、全聖書の結論であるだけでなく、聖書に啓示されたすべての重要な項目の究極的完成でもあります。三一の神、三一の神のエコノミー、キリストの贖い、神の救い、信者、召会、王国は、すべて究極的項目としての新エルサレムで、究極的に完成されています。ですから、新エルサレムが物質的な都であると言うのは論理的ではありません。それは、しるしを用いて奥義的な事柄を啓示する本書の原則に合いません。全聖書の全体の啓示によれば、全聖書の結論である新エルサレムは、手順を経た三一の神と、贖われ、造り変えられた三部分から成る人との神聖な混ざり合い、神性と人性との混ざり合いであり、ひとりの宇宙的で、団体的で、奥義的なパースンと成ったものです。この奥義的パースンは以下のものです。
(一) 小羊の妻(啓二一・九)。
(二) 神と人の永遠の相互の住まいとしての、神の幕屋と宮の究極的完成(三、二二節)。
(三) あらゆる時代を通して、旧創造における新創造の神のみわざの究極的完成(使徒四・十一、ヨハネ二・十九、マタイ十六・十八、Ⅰコリント三・九―十二、Ⅰペテロ二・四―五)。
(四) 神の永遠のエコノミーと神の神聖な達成の究極的完成。

<抜粋>パンと魚

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