真理

とりなしの祈り

25日: 主を絶対的に享受するように祈る

神を尋ね求める者に対する神の意図は、彼らがキリストの中にあらゆるものを見いだし、彼ご自身を絶対的に享受することからそらされないことです。神のエコノミーにおける神の究極の願いは、わたしたちがキリストを生き、キリストを大きく表現し、キリストを獲...
とりなしの祈り

24日: 徹底的な会話を主と持つように祈る

わたしたちが認識すべきなのは、主との徹底的な会話を持ち、自分の心を彼に注ぎ出すとき、わたしたちと主との親密さがさらに一段階進み、彼をさらに少し知るということです。これらの時の彼との親密な接触は、わたしたちと彼との通常の交わりより何百倍も良い...
とりなしの祈り

23日: 最上の聞き手である主に開くように祈る

わたしたちは、悲しみ、意気消沈、失望の状態にいるかもしれません。わたしたちは自分の問題を主にもたらし、それについて彼に告げるべきです。彼は最上の聞き手です。彼はわたしたちの感情を知っており、わたしたちの心に同情します。彼はわたしたちを慰め、...
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22日: 安息である主に祈って触れるように祈る

平安の神は、キリストにあるわたしたちの心と思考の前を巡回して、わたしたちを落ち着かせ、静めてくださいます(参照、イザヤ30:15前半)。わたしたちは思い煩いのない生活をしようとするなら、わたしたちのすべての環境が、良くても悪くても、神によっ...
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21日: 交わりによって平安を享受するように祈る

祈りの中で神との交わりを実行した結果は、わたしたちが神の平安を享受することです。神の平安は実際上、平安としての神であり(9節)、わたしたちが祈りによって彼と交わることを通して、悩みの均衡をとる重り、思い煩いの抗毒剤として、わたしたちの中へと...
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20日: 問題に近づくのではなく、「神に」近づくように祈る

「神に」は、ある方向の動作を示し、生ける結合と交流の意味であり、交わりを暗示します。ですから、ここの「神に」の意味は、「神との交わりの中で」ということです。「神に」のギリシャ語は、「近づく」という意味があります。他の言語よりも豊かです。最終...
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19日: 感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって要望を神に知らせるように祈る

力づけてくださる方としてのキリストの中でいっさいの事柄を行なう実行上の道は、ピリピ第4章6節から7節に見いだされます、「何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知...
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17日: 訓練する恵みに開くように祈る

わたしたちは主の弟子、彼の学ぶ者として、神の恵みとしての彼の訓練の下に絶えずいます。神はまたわたしたちに、「わたしたちの救い主・神の慈しみと、人に対する彼の愛」として現れました。この恵みは、「わたしたちを訓練して、不敬虔とこの世の欲を否み、...
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16日: イエスの実際を学ぶように祈る

信者たちは弟子たち、学ぶ者たちであり、秘訣を学びつつあります。その秘訣とは、実際はイエスの中にあるので、キリストを学ぶことであり、それは実際の霊に、彼らを四福音書に記録されているようなイエスの生活の実際の状態の、すべての実際の中へと導いてい...
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15日: 自己を否むように祈る

わたしたちの自己を否むことが意味するのは、魂の願望、好み、選択を拒絶することです。人の最初の罪は、自分自身のためにある事を行なって、自己を満足させることでした。わたしたちは代価を支払わなければなりません。わたしたちは、自分自身を失い、自己と...
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