2022-07

とりなしの祈り

17日: 命の木の一部となるように祈る

命の木を食べるだけではなく、命の木の中へと接ぎ木されて、その一部となります。栄養士は、食べる物にわたしたちがなると言います。命の木を食べると命の木になります。命の木の主題をもたらしてくださり、神に感謝します。単純な浅薄なものではありません。...
とりなしの祈り

16日: 以下の詩歌の内容を自分の祈りとして祈る

この事に基づいて、わたしたちは次のように歌い、祈るべきです、「わたしはわたしの主を愛します。しかし、わたしの愛をもってではありません。なぜなら、わたしにはささげるものがないからです。主よ、わたしはあなたを愛します。しかし、すべての愛はあなた...
とりなしの祈り

14日: 初めの愛をもって主を愛するために、キリストの愛で押し迫られるように祈る

主の回復は、初めの愛、すなわち最上の愛をもって主イエスを愛することの回復であり、また主イエスを命の木として食べることの回復であり、キリストの有機的なからだを建造するためです。それは、神の永遠のエコノミーの目標としての新エルサレムを建造するこ...
とりなしの祈り

12日: 初めの愛で主を愛することが回復されるように祈る

新約の真の務めは常にわたしたちを奮い立たせて、初めの愛をもって主イエスを愛させ、わたしたちを強めて、単純に命の木としてのキリストを食べさせ享受させ、わたしたちの命の供給とならせます。初めの愛をもって主を愛することは、すべての事において彼に首...
とりなしの祈り

11日: 命の原則にしたがって生活するように祈る

わたしたちは命の原則にしたがって生活するために、命の内なる感覚に従う必要があります。命の感覚は主観的で、個人的で、実際的です。消極的な面で、命の感覚は死の感覚です。積極的な面で、命の感覚は命と平安の感覚であり、力、満足、安息、明るさ、心地よ...
とりなしの祈り

10日: 霊を魂から識別して、霊を知るように祈る

わたしたちは命の原則にしたがって生活しようとするなら、霊を魂から識別して、霊を知る必要があります。その霊である主は、わたしたちの霊の中で生き、住み、働き、行動し、活動しており、わたしたちは彼と一つ霊です。わたしたちは実際的に主を知ることを願...
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9日: わたしたちの生活が 内なる命に基づいていることを見るように祈る

わたしたちのクリスチャン生活は、内なる命に基づいているのであって、正しいか間違っているかの外なる標準に基づいているのではありません。わたしたちの生活の原則は内側のものであって、外側のものではありません。もしわたしたちが正しいか間違っているか...
とりなしの祈り

8日: 二本の木と生活の二つの原則を見るように祈る

創世記第2章9節の二本の木(命の木と善悪知識の木)は、生活の二つの原則を表します。二本の木が見せているのは、クリスチャンが二つの異なる原則(正しいか間違っているかの原則、あるいは命の原則)にしたがって生活することがあり得るということです。ク...
とりなしの祈り

7日: 命の木を享受して、命を福音、牧養として流し出すように祈る

わたしたちは時が良くても悪くても、日ごとにキリストをあらゆる種類の人々に語り、真剣に努めてどの集会でも語る習慣を建て上げなければなりません。「この事が意味するのは、都合が良かろうと、都合が悪かろうと、言葉が喜んで受け入れられようと、受け入れ...
とりなしの祈り

6日: 朝ごとに命の木としてのキリストを享受するように祈る

わたしたちが命の道にとどまるのは、御言を祈り読みし、言葉を思い巡らす(口ずさむ)ことを通してイエスを食べることによってであり、またわたしたちの信仰の霊を活用することを通してその霊である言葉を人の中へと供給することによってです。わたしたちは朝...
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