2022-03

とりなしの祈り

18日: 聖書通読を通して心が燃えるように祈る

三一の神の具体化であるこの方は、聖書の中心路線です。それから第24章32節は次のように言っています、「彼らは互いに言った、『彼が道でわたしたちに語りかけて、聖書を開いてくださっていた時、わたしたちの心が内側で燃えたではないか?』」。主がこの...
とりなしの祈り

17日: 神の永遠のエコノミーを明確に見るように祈る

人が聖書を読むとき、しばしば自分の好みにあうところだけを読みます。人が聖書を読むとき、しばしば彼は自分が必要だと感じるものだけを読みます。親愛なる兄弟姉妹、聖書を読むとき、わたしたちは自分が必要なものだけに注意を払う必要はありません。また、...
とりなしの祈り

16日: 制限を超越する恵みを経験するように祈る

恵みは十分であるだけでなく、すべての制限をはるかに超えています。今日、コロナウイルス蔓延の状況には多くの制限があります。わたしたちの弱さの多くの面においても制限もあります。しかし、主に感謝します。多くの豊富を伴った主の恵みをわたしたちが享受...
とりなしの祈り

15日: 友人たちに恵みとしての神が造り込まれるように祈る

わたしたちの神もこのようです。彼がわたしたちを救うとき、彼はただ「あなたを赦しました。ですから、わたしはあなたを自由にします。わたしはもうあなたを罪定めしません」と言うだけではありません。しかし、内面的にはわたしたちの状態はまだ同じです。し...
とりなしの祈り

14日: 父なる神の喜びに六種類の人があずかるように祈る

父なる神は、わたしたちが長子によって父の家に連れたことを見るとき、彼の喜びは言葉では言い表せません。それは時々家族が再会するようなものです。長い間、子供たちはみな家を離れていました。再会の時、子供たちが帰ってくると、お母さんはとても喜んで、...
とりなしの祈り

13日: 恵みの源、恵みの要素、恵みの適用を経験できるように祈る

わたしたちの神、神聖な三一の三一の神(源としての父、要素としての子、適用としての霊)は、この恵みをしっかりとわたしたちに適用することができます。今年、神がわたしたちにもっと恵みを与えてくださることを期待するべきではありません。そのような祈り...
とりなしの祈り

12日: 恵みの分与のために祈る

恵みは三一の神ご自身がわたしたちの存在に分与されたものです。そうです。あなたはあなたの病気から癒されました。そして今年あなたは多くの利益を伴う昇給、昇進をしました。しかし、神はあなたの中で増加しましたか? これらの恩恵を受けた後、あなたはた...
とりなしの祈り

11日: 経験における神を享受するよう祈る(3)

「今年、わたしは神に感謝します。神はわたしに男の子を出産させてくれました。ああ、わたしは子供が欲しいと思っていましたが、子供を産むことができませんでした」。「今年男の子がわたしに生まれたこと」が、神がわたしに与えてくださった恵みであるのです...
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10日: 経験における神を享受するよう祈る(2)

わたしたちはこの点について非常に明確にする必要があります。わたしたちクリスチャンの天然の観念では、わたしたちが恵みについて語るとすぐに、神がわたしのために何をしてくださったかを考えてしまいがちです。毎年の終わりに、多くのクリスチャンは神の恵...
とりなしの祈り

9日: 経験における神を享受するよう祈る(1)

神の恵みは神が何であるかを語っており、この恵みはわたしたちが適用するためのものです。神の恵みは、天に置かれたものでもなく、客観的なものでもなく、わたしたちが見るためにそこにぶら下がっているだけのものでもありません。この恵みはわたしたちが適用...
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