人が聖書を読むとき、しばしば自分の好みにあうところだけを読みます。人が聖書を読むとき、しばしば彼は自分が必要だと感じるものだけを読みます。親愛なる兄弟姉妹、聖書を読むとき、わたしたちは自分が必要なものだけに注意を払う必要はありません。また、好きなものだけに注意を払うべきではありません。わたしたちは神が何を必要としているか、そして神の喜びが何であるか、何が神のエコノミーであるかを知る必要があります(エペソ1:9-11)。
[2022年2月国際華語特別集会 メッセージ2 ノートより]
エペソ1:9
みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださいました.これは、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びによるもので、
エペソ1:10
時代の満了時のエコノミー[経綸]へ至るためです.すなわち、キリストの中で、天にあるもの地にあるもの、すべてのものを、彼の中でかしらにつり上げようとされたのです.
エペソ1:11
その方の中で、わたしたちも嗣業として定められ、みこころの熟慮にしたがってすべての事柄を行なう方の定められた御旨により、あらかじめ定められていたのです.