6月30日 とりなしの祈り

dailyprayer06 とりなしの祈り

30日:召会が肉体における神の現れであることを見るために祈る

Ⅰテモテ第3章15節から16節が示しているのは、かしらとしてのキリストご自身だけが、肉体における神の現れであるということではなく、キリストのからだまた神の家としての召会も、肉体における神の現れ、すなわち敬虔の奥義であるということです。Ⅰテモテ第3章16節の「敬虔」とは、神が召会の中で生きていること、すなわち、命としての神が召会の中で生かし出され、表現されることをも示しています。神は召会(神の家またキリストのからだ)の中で、肉体において、拡大された団体の表現として現されます。偉大な敬虔の奥義とは、神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となって、団体の神・人を生み出し、肉体において神を現すということです(Ⅰテモテ3:15-16、ローマ8:3、1:3-4)。

[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ5]

 

Ⅰテモテ 3:15

それは、もしわたしが遅れた場合、神の家の中でどのように振る舞うべきかを、あなたに知ってもらうためです.神の家とは生ける神の召会であって、真理の柱また基礎です。

 

Ⅰテモテ 3:16

そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です.この方は肉体において現され、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世の人の中で信じられ、栄光のうちに上げられた。

 

ローマ 8:3

律法が肉のゆえに弱くて、なし得なかったので、神は、ご自身の御子を罪の肉の様で、罪のために遣わし、肉において罪を罪定めされました。

 

ローマ 1:3

彼の御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫から生まれ、

 

ローマ 1:4

聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示されたわたしたちの主イエス・キリストです.

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