6月10日 とりなしの祈り

dailyprayer06 とりなしの祈り

10日:わたしたちが御言葉を読んで、思い巡らすことにより、それを味わい、養い、享受することができるように祈る

黙想することと思い巡らすこととの間には、大きな違いがあります。最も大きな違いは、黙想することは「無言」ですが、思い巡らすことは「語る」ことの関係があります。あなたが聖書を読むとき、あなたの口を開くことをお勧めします。語って見てください。わたしは聖書を読むとき、一人でも声に出して読みます。わたしはこれを一つの方法として語っているのではありません。なぜなら、あなたはそれを聞くからです。あなたは一度に聞き、語り、読むことになります。それは黙想することではなく、思い巡らすことです(詩1:2.119:15、15節のフットノート)。

[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ2 手話ノートより]

 

詩篇 1:2

彼の喜びはエホバの律法にあり、昼も夜も、彼はその律法を思い巡らす。

 

詩篇 119:15

わたしはあなたの教訓を思い巡らし、あなたの路を重んじます。

 

15節のフットノート1

この言葉の意味は豊富で、「思い巡らす」のヘブル語の言葉は、礼拝すること、自らと会話すること、大声で語ることを暗示します。言葉を思い巡らすとは、注意深く考察することを通してそれを味わい、享受することです。祈り、自らに語ること、主を賛美することも、言葉を思い巡らすことに含まれるでしょう。神の言葉を思い巡らすことは、彼の息としての言葉を享受し、こうして神を注入され、神を吸い込み、霊的な養いを受けることです。

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