27日: 普通の日常生活において神聖な分与を受けるように祈る

とりなしの祈り

明日から普通の生活が始まります。「普通」の神聖な三一の神聖な分与の下にある生活です。少しずつ、穏やかで、内側のものです。わたしたちが霊にしたがって歩むとき、穏やかで、平安で満ちるようになります。このとき、わたしたちの霊の感覚は鋭敏になります。主は働いているということが、わかります。静かに少しずつ、内なる存在は穏やかなので、霊の中で感じることができます。わたしはもっと、あなたに開きます。少しずつ少しずつ、日ごとの事柄であるので、一日も無駄にしたくありません。年長の兄弟姉妹たち、遅すぎることはありませんが、時間がいっぱいあるわけでもありません。普通の生活の中で、分与の下にいましょう。わたしたちは少しずつ、日ごとに、神聖な分与を受け、ゆっくりと、安定した方法で、何度もこの分与を受ける必要があります。ほとんどの霊的な事柄は、わたしたちの中で一度で永遠に達成されるのではありません。そうではなく、わたしたちの肉体の命のように、大部分の霊的な事柄は、何度も繰り返されなければなりません。神がわたしたちに与えるものは何であれ、一度にすべて与えられるのではありません。もしそうであれば、わたしたちは耐えられなくなります。むしろ、神聖な供給は少しずつ与えられます(Ⅱコリント13:14.マタイ6:11.詩68:19)。

[2022年11月サンクスギビング特別集会 メッセージ6 ノートより]

 

Ⅱコリ13:14

主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。

 

マタイ6:11

わたしたちの日ごとのパンを、今日も与えてください。

 

詩68:19

主はほむべきかな.彼は日ごとにわたしたちに善きものを積み込まれる.神はわたしたちの救いである。セラ

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