12日: 牧養において供給する命の親密な心遣いを持つように祈る

とりなしの祈り

諸召会を顧み、聖徒たちを牧養することで必要とされるのは、供給する命の親密な心遣いです。聖徒たちを牧養するとき、わたしたちは人を死なせるかもしれません。この人を死なせることと、この実がないこととの原因は、親密な心遣いに欠けることです。もし、わたしたちに働きを遂行する能力があっても、親密な心遣いに欠けるなら、わたしたちの働きに実はありません。わたしたちの心は広くされて、すべての信者の状態がどうであっても、彼らを受け入れなければなりません(Ⅱコリント7:2-7.12:15.ピレモン7,12)。

[2022年10月国際長老責任者訓練 メッセージ1 アウトラインより]

 

Ⅱコリント7:3

わたしがこのことを言うのは、あなたがたを罪に定めるためではありません.なぜなら、前にも言ったことですが、あなたがたはわたしたちの心の中にあり、わたしたちと共に死に、共に生きるに至るからです。

 

Ⅱコリント7:4

あなたがたに対して、わたしは極めて大胆になっています.わたしはあなたがたを大いに誇っています.わたしは慰めに満たされ、わたしたちのすべての患難の中で、喜びに満ちあふれています。

 

Ⅱコリント12:15

しかし、わたしはあなたがたの魂のために、大いに喜んで費やし、自分自身を使い尽くしましょう。わたしはあなたがたを、あふれるばかりに愛すれば愛するほど、ますます愛されなくなるのでしょうか?

 

ピレモン7

というのは、兄弟よ、わたしはあなたの愛によって、大きな喜びと励ましを受けたからです.それは、聖徒たちの心の深みが、あなたを通して新鮮にされたためです。

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