2023-01

とりなしの祈り

8日: 全存在を活用して主を愛するように祈る

人が愛するものは何であれ、人の心全体、さらには人の全存在でさえ、その愛するものの上に置かれ、またそれによって占有され、所有されます。「神を愛するとは、わたしたちの全存在―霊、魂、体を、心、魂、思い、力と共に―完全に彼の上に置くことです。これ...
とりなしの祈り

7日: ロマンチックなクリスチャンとなるように祈る

聖書はロマンチックな書であり、わたしたちと主との関係は、ますますロマンチックになるべきです。もしわたしたちと主イエスとの間に何のロマンスもなければ、わたしたちは宗教的なクリスチャンであって、ロマンチックなクリスチャンではありません。全聖書は...
とりなしの祈り

6日: 聖書は宇宙的な夫婦のロマンスで あることを見るように祈る

最も純粋で、最も聖なる意味で、聖書は宇宙的な夫婦のロマンスです―キリストにある神は花婿であり、神の贖われた人は花嫁です。神は何世紀にもわたって、人とのロマンスを持ってきました。神が人を創造した目的は、配偶者を持つことです。神は愛する方であり...
とりなしの祈り

5日: 三一の神の臨在を持って、 彼を日ごとに恵みとして享受するように祈る

ときどきわたしたちが自分の状況を考えると、失望し、自分には何もないと感じるかもしれません。それはわたしたちにとって、太陽の下にあるすべてのもの、霊的な領域におけるすべてのものでさえ、空の空であるかのようです。わたしたちは、召会生活の中でさえ...
とりなしの祈り

4日: 新エルサレムが民数記第6章における イスラエルに対する神の祝福の 究極の成就であることを見るように祈る

新エルサレムは、聖書の全記録の究極的完成であり、神ご自身を彼の神聖な三一(父、子、霊)の中で、彼の選ばれ、贖われ、再生され、造り変えられ、栄光化された人と結合し、ミングリングし、合併して、彼らの永遠の祝福となります。このような祝福は、民数記...
とりなしの祈り

3日: 主の恵み、神の愛、その霊の交わりを見るように祈る

主の恵みは、わたしたちの命としての主ご自身であり、わたしたちの享受となります。神の愛は、神ご自身であり、主の恵みの源です。その霊の交わりは、その霊ご自身であり、主の恵みと神の愛との伝達であって、わたしたちにあずからせます。Ⅱコリント第13章...
とりなしの祈り

2日: 三一の神の永遠の祝福を見るように祈る

民数記第6章22節から27節でわたしたちは、祭司による祝福の模範を見ます。この祝福は、旧約の祝福でもなく、新約の祝福でもありません。むしろ、それは三一の神の永遠の祝福です。すなわち、三一の神が彼の神聖な三一の中で、ご自身をわたしたちの中へと...
とりなしの祈り

1日: 唯一の祝福は三一の神であることを見るように祈る

全宇宙で、唯一の祝福は三一の神です。この祝福は、わたしたちの中へともたらされる神聖な三一の神聖な分与を通してわたしたちに臨んで、わたしたちの享受となり、神の神聖なエコノミーを完成します。神のエコノミーにおける神の意図は、彼の神聖な三一(父、...
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