穀物のささげ物は、わたしたちのクリスチャン生活、すなわちキリストの神・人の生活の複製を予表します。わたしたちはキリストを、日ごとにわたしたちの穀物のささげ物として享受して、わたしたちの祭司の食物とする必要があります。それは、彼がわたしたちを通して、彼の神性によって豊かにされた人性において、地上で再び生きることができるためです。わたしたちは、穀物のささげ物としてのキリストを食べるなら、わたしたちが食べたものとなり、わたしたちが食べたものによって生きます(レビ2:4.詩92:10.Ⅰペテロ2:21)。
[2023年3月国際長老責任者訓練 メッセージ2]
レビ2:4
あなたがささげ物として、かまどで焼いた穀物のささげ物を献げるとき、それはきめの細かい小麦粉によるもので、油を混ぜ合わせたパン種のない輪型の平らなパン、あるいは油を塗ったパン種のない極薄のパンでなければならない。
詩92:10
しかし、あなたはわたしの角を、野牛の角のように高く上げられました.わたしは新鮮な油を塗られているのです。
Ⅰペテ2:21
あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.