11日: 次世代を育てる召会、奉仕者のために祈る

とりなしの祈り

最終的に、これは自分の子供たちのことであるだけではなく、神の家族のことです。わたしはわたしの家族、わたしの子供たちだけを顧みます。そうではありません。すべての子供たちは神の家族の一員です。これは、わたしたちの家族である聖徒たちです。これがからだであり、召会です。わたしたちは子供たちの家族を育てなければなりません。ニー兄弟は、もし主がわたしたちと共にいて、祝福してくださるなら、わたしたちの増殖の半分は自分自身の子供たちからやって来て、もう半分は世の人からやって来ると言いました。ニー兄弟は、わたしたちが自分の子供たちから半分の増殖を持たないなら、福音は地の最も果てまでも行くことは決してないだろうと言いました。そして、召会は決して豊かになることはありません。召会が豊かになるために、わたしたちは第二世代を獲得しなければなりません(詩127:1-5)。

[2022年6月ヨーロッパ親の特別集会 メッセージ2 ノートより]

 

詩127:1

エホバが家を建てられるのでなければ、建てる者たちの労苦はむなしい。エホバが町を守られるのでなければ、見守る者が目覚めているのはむなしい。

 

詩127:2

あなたがたが早く起き、遅く休み、辛苦のパンを食べるのはむなしい.全く同じように、彼は彼の愛する者に、彼らが眠っている間に与えられる。

 

詩127:3

見よ、子供たちはエホバの財産であり、胎の実は褒賞である。

 

詩127:4

若い時の子たちは、勇士の手にある矢のようである。

 

詩127:5

幸いである.自分の矢筒を矢で満たしている人は。彼らは城門で敵どもと語るとき、辱められることはない。

 

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