29日: キリストを命の木として経験し、享受することができるように祈る

とりなしの祈り

ヨハネによる福音書は、キリストが生ける神の宮としての召会を建造するための命であることについての福音です。この建造の働きが遂行されるのは、わたしたちが十字架につけられ復活したキリストを命の木として経験し、享受することを通してです。命の原則は、死を命に変えることであり、命の目的は、神の家(神の宮)としての召会を建造することです。「ヨハネによる福音書は、霊的な意義を持つ象徴に満ちています。この婚宴もそうです。それは三日目に起こりました。ぶどう酒が尽きましたね。それが表徴するのは、わたしたちの人生のすべて、わたしたちの喜び、天然の喜び、そのすべてが最終的に尽きるということです」(ヨハネ2:1-11. 12-22)。

[2022年7月定期訓練 メッセージ6 アウトラインとノートより]

 

ヨハネ2:3

さて、ぶどう酒が尽きた時、イエスの母は彼に言った、「彼らにぶどう酒がありません」。

 

ヨハネ2:7

イエスは彼らに言われた、「その水がめに水を満たしなさい」。彼らはそれを縁まで満たした。

 

ヨハネ2:9

祝宴の長は、ぶどう酒になったその水をなめたが、それがどこから来たのか、わからなかった.しかし、水をくんだしもべたちは知っていた.祝宴の長は花婿を呼んで

 

ヨハネ2:10

言った、「だれでも初めに良いぶどう酒を出して、人々が十分に飲んだころ悪いのを出すものなのに、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました」。

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