17日:すべての地方召会が新エルサレムの縮図となるように祈る

とりなしの祈り

すべての地方召会は新エルサレムの縮図であるべきであり、すべての信者は「小さな新エルサレム」であるべきです。何であれ新エルサレムに帰属するものは、わたしたちの団体の経験と個人の経験であるべきです(啓21:3、22:1-2、14、17)。

[2021年9月全国特別集会 メッセージ3 アウトラインより]

 

啓21:3

そして、御座から大きな声がこう言うのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にある.神は彼らと共に幕屋を張り、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいて、彼らの神となる。

 

啓22:1

また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた.それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。

 

啓22:2

その川のこちら側にも向こう側にも命の木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民のいやしのためにある。

 

啓22:14

自分の衣服を洗う者たちは幸いである.彼らは命の木への権利を持ち、門を通って都の中へと入ることができる。

 

啓22:17

その霊と花嫁が言う、「来たりませ!」。聞く者も「来たりませ!」と言いなさい。渇いている者は来たれ.欲しい者は、命の水を値なしに飲むがよい」。

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