17日:神の建造のために神の裁きを経過して 召会生活の柱となるように祈る

とりなしの祈り

ボアズのようになる者たちは、召会生活の中の柱です(宮の柱の一つは「ボアズ」と名づけられました――列王上7:21)。聖書の中で柱は、造り変えを通してからだの生活を実行することにおける神の建造のしるし、証しです。召会生活の中の柱である者たちは、絶えず神の裁き(青銅)の下におり、自分が肉体の中にある人であり、死と葬り以外に何の価値もないことを認識しています(列王上7:21、ガラテヤ2:9、Ⅰテモテ3:15、啓3:12.ローマ12:2)。

[2021年7月訓練 メッセージ11 アウトラインより]

 

列王上7:21

彼はその柱を宮の廊に立てた。彼は右の柱を立てて、その名をヤキンと呼び、左の柱を立てて、その名をボアズと呼んだ。

 

ガラ2:9

また、わたしに与えられた恵みを知って、柱であるという評判のあるヤコブとケパとヨハネとは、交わりの右手をわたしとバルナバに差し伸べてきました.それは、わたしたちが異邦人の所へ、彼らが割礼の者の所へ、行くことになるためでした。

 

Ⅰテモ3:15

それは、もしわたしが遅れた場合、神の家の中でどのように振る舞うべきかを、あなたに知ってもらうためです.神の家とは生ける神の召会であって、真理の柱また基礎です。

 

啓3:12

勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう.彼はもはや決して外に出ることはない.わたしはまた彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち天から出て、わたしの神から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記そう。

 

ローマ12:2

またこの時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい.それは、何が神のみこころであるか、すなわち何が善であって、喜ばれ、完全なものであるかを、あなたがたがわきまえるようになるためです。

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