12月02日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅰヨハネ4:9-11, 9節のノート1, 3

「神はひとり子を世に遣わされました。その方を通して、わたしたちが命を持ち、そして生きるためです。それによって、神の愛がわたしたちに現されたのです。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪のために、御子をなだめの供え物として遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たちよ、神がこのようにわたしたちを愛してくださったのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」。

わたしたちが彼を通して生きるようにと、神が御子を世に遣わされたことにおいて、さらに高い、さらに高貴な神の愛が、わたしたちに現されました。
わたしたち堕落した人は、性質と行動において罪があるだけでなく(ローマ七・十七―十八、一・二八―三二)、霊において死んでいます(エペソ二・一、五、コロサイ二・十三)。神が御子を世に遣わされたのは、わたしたちの罪のためになだめの供え物となって、わたしたちに赦しを得させるだけでなく(Ⅰヨハネ四・十)、わたしたちの命となって、わたしたちが彼を通して生きるようになるためでもありました。神の愛の中で、神の御子は、彼の血によってわたしたちを罪から救うだけでなく(エペソ一・七、啓一・五)、彼の命によって死からも救われます(Ⅰヨハネ三・十四―十五、ヨハネ五・二四)。彼はわたしたちの罪を取り除く神の小羊であるだけでなく(一・二九)、わたしたちに永遠の命を与える神の御子でもあります(三・三六)。彼がわたしたちの罪のために死なれたのは(Ⅰコリント十五・三)、わたしたちが彼の中で永遠の命を持ち(ヨハネ三・十四―十六)、彼を通して生きるためです(六・五七、十四・十九)。このことにおいて、神の本質である神の愛が現されました。

<抜粋>パンと魚

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