10月31日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅰペテロ1:3-5, 3節のノート4, 6, 7, 4節のノート3

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの神また父。この方はその大いなるあわれみにより、イエス・キリストの死人の中からの復活を通してわたしたちを再生し、生ける望みを持たせ、朽ちず、汚れず、しぼまない、あなたがたのために天に蓄えられている嗣業を得させてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるために用意されている救いへと、信仰を通し、神の力によって守られています」。

再生は、贖いと義認のように、神の全き救いの一つの面です。贖いと義認は、神とのわたしたちの問題を解決し、わたしたちを神に和解させます。再生は、わたしたちを神の命で生かし、神との命の関係、一つの有機的な結合にもたらします。ですから、再生は生ける望みとなり、生ける望みという結果になります。そのような再生は、キリストの死人の中からの復活を通して起こります。「命と命を与える霊の賜物をもたらすキリストの復活は、新しい誕生を生ける望みへと至らせるものである」(アルフォード)。
「生ける望み」とは、わたしたちの今日の寄留における未来に対する希望、客観的な事柄に対する希望ではなく、命の希望、すなわち、終わりのない神聖なすべての祝福を伴った永遠の命です。このような望みは、来たるべき恵みの上に、わたしたちの望みを完全に置かせます(Ⅰペテロ一・十三)。
キリストが復活された時、わたしたち、彼の信者たちはすべて彼の中に含まれていました。ですから、わたしたちは彼と共に復活させられました(エペソ二・六)。キリストは復活において神聖な命をわたしたちに分与し、わたしたちを彼と全く同じにされました。これは、わたしたちの再生の基本的な要因です。
「朽ちず」とは、本質において朽ちない、不滅の、腐朽しないことです。「汚れず」とは、純粋さにおいて、潔白であることです。「しぼまない」とは、美しさと栄光において、枯れ衰えないことです。これらは命におけるわたしたちの永遠の嗣業の卓越した性質です。これらの性質は、神聖な三一と関係があります。すなわち、「朽ちず」は金のような御父の性質、「汚れず」はその霊の聖別する働きによって守られた状態、「しぼまない」は御子の栄光の表現と関係があります。

<抜粋>パンと魚

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