わたしたちがクリスチャンであることの標準は、正しいか間違っているか、良いか悪いかであるべきではなく、パースンであるべきです。極めて重要なことは、わたしたちが「何」をしているかではなく、「だれ」がそれをしているかです。わたしたちは、キリストをわたしたちのパースンとすることによって日常生活をするとき、特に決定をすることにおいてキリストをパースンとするとき、わたしたちの生活は新しい人の生活となります(ヨハネ4:34.5:30.6:38)。
[2023年3月国際長老責任者訓練 メッセージ3]
ヨハネ4:34
イエスは彼らに言われた、「わたしの食物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行ない、彼のみわざを成し遂げることである。
ヨハネ5:30
わたしは自分からは何も行なうことができない.わたしは聞くとおりに裁く.そしてわたしの裁きは正しい.なぜなら、わたしは自分の意志を求めないで、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからである。
ヨハネ6:38
なぜなら、わたしが天から下って来たのは、自分の意志を行なうためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行なうためだからである。