真理

とりなしの祈り

10日: 他の人を自分よりも尊いと 考えるように祈る

人々は、自分の地位、自分の家族の背景、さらには自分の霊性について、自分自身を尊重します。人々は、自分が他の人よりも高いという感覚を常に持っています。わたしたちは十字架の上にとどまって、日々、自己を十字架の終結の下にとどめる必要があります(ル...
とりなしの祈り

8日: 聖徒にとって供給の経路となるよう祈る

わたしたちがキリストを生きることによって、わたしたちの体においてキリストを大きく表現し、彼に表現を得させるなら、わたしたちは有力な要因、供給の経路となって、聖徒たちが命において成長し、主を享受することができるようにします(ピリピ1:20-2...
とりなしの祈り

7日: 主が表現されるよう祈る

パウロの生活と働きのすべては、彼自身を表現するためではなく、彼の知識、能力、その他の功績や長所を表現するためでもありませんでした。彼が何であったか、また彼が何を行なったかは、キリストを表現するため、さらにはキリストを大きく表現するためでした...
とりなしの祈り

6日: 喜びを維持するよう祈る

パウロはローマの獄に捕らえられていた時、キリストを大きく表現し、彼を監禁した者の目にキリストを大きく現しました。環境がどうであっても、パウロは喜びに満ちており、主の中で喜んでいました(参照、使徒16:23-26)。 使徒16:23 こうして...
とりなしの祈り

5日: キリストを大きく表現するよう祈る

キリストを生きて、彼を大きく表現することは、命におけるキリストの救いにあずかることです。この救いの中でわたしたちは、キリストを生きないという失敗から救われ、またキリストを大きく表現しないという失敗から救われます(ローマ5:10.ピリピ1:1...
とりなしの祈り

4日: すべての決定権を キリストに明け渡すように祈る

わたしたちがクリスチャンであることの標準は、正しいか間違っているか、良いか悪いかであるべきではなく、パースンであるべきです。極めて重要なことは、わたしたちが「何」をしているかではなく、「だれ」がそれをしているかです。わたしたちは、キリストを...
とりなしの祈り

3日: 生活のあらゆることの中でキリストにわたしたちのパースンとなっていただくように祈る

新しい人は肢体についてではなく(ローマ12:4-5)、パースンについてです。ですから、わたしたちはみな、「わたしのパースンはだれだろうか? わたしだろうか、それとも主イエスだろうか?」と問う必要があります(エペソ2:15.3:17前半)。 ...
とりなしの祈り

2日: 一人の新しい人としての召会のために祈る

一人の新しい人としての召会のために、わたしたちはキリストをわたしたちのパースンとする必要があります(エペソ3:17前半.4:24.コロサイ3:4,10-11)。 エペソ3:17 またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホー...
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1日: キリストを愛して彼をパースンとするように祈る

キリストをわたしたちのパースンとすることは、わたしたち自身を強いて彼に服従させることではなく、彼に対するわたしたちの愛のゆえに、彼の好みにしたがって生活することです(Ⅰヨハネ4:19.ローマ6:6.ガラテヤ2:20)。 Ⅰヨハネ4:19 わ...
とりなしの祈り

31日: キリストをパースンとするように祈る

わたしたちは、キリストをわたしたちのパースンとする必要があります。これはキリストに対する最も高く、最も豊富な経験です(ガラテヤ2:20.エペソ3:17前半)。 ガラ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはや...
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