同労者の兄弟たちとの交わり記録 2021/03/15

務めの供給

林鴻兄弟の交わり:

 

構造改革:小組は召会建造の基層である

(訳者註:基層とは、ある物事の基礎となって横たわっているもの。その上に重なり立つようにして物事が存する、基盤)

今年の二月に同労者の成就がありました。内容を準備していたとき、主の導きは高嶺の真理、神・人の生活、神にしたがって牧養する、でした。特に、主のしもべの構造改革についてビジョンを復習する必要があると感じました。六つのメッセージがありました。それらの主題は順に、構造改革、真理の構成、神・人の生活、牧養、人を成就すること、移住についてでした。台湾の必要にしたがって、この六つのアウトラインを用意しました。兄弟たちはメッセージを通して、構造改革について強く思い起こされました。構造改革は、リー兄弟が語ったことですが、それは聖書の啓示を回復することです。召会とは、すべての人が機能すること、すなわち普遍的な祭司の体系です。この数年、台湾において突破があるのは確かです。わたしたちは自分たちの実行に満足しているかのようでしたが、普遍的な祭司に気をとめておらず、すべての人が機能することについて、あまり気をとめていませんでした。主のしもべが台湾で構造改革を行なった時、ある言葉を語りました、「小組は召会の建造の基層です」。彼は台湾で小組を導いていたとき、一年経っても満足しませんでした。85年の終わりに語りました。まだ、一年も実行していないときに、リー兄弟は言いました、「いわゆる小組にとどまっていてはいけません。大きい集会を小さい集会に変えただけではいけません。それはスープを変えても、スープの素を変えないのと同じです」。

 

小組の機能:生養教を実行すること

わたしたちの現状は、小組が召会建造の基層ということからはかけ離れています。わたしたちの小組は良くて大きい集会を小さい集会にしただけです。聖徒たちの間の有機的な建造が出てきていません。聖徒たちが有機的に人を顧みることが出てきていません。生養教が小組の中で行なわれるべきです。台湾でリー兄弟は多くのメッセージを語ってきました。アメリカでは1992年から導きました。台湾では1984年から1989年まで5年間導きました。アメリカでのバイタルグループは福音から始めました。注意してください、小組の機能は生養教を実行することです。そして人を成就して、主日の集会で預言させることです。こういうわけで、小組は召会建造の基層なのです。ですから、召会生活を見ると、わたしたちのほとんどが、長老が召会を治める方法において、また責任者が各地区で祈りの集会で押し広める方法を取っています。この方法で、すべての人が機能することは不可能です。このような推し進め方は、わたしの地域では比較的良いですが、このように実行することによっては普遍的な祭司職を実行することはできません。すべての人が機能することは不可能です。

 

小組の第一の面――交わり、とりなし、顧み、牧養

同労者の集会の中で、構造改革について交わりました。他の地域はわたしを招いて構造改革について交わりました。小組以外に道はありません。小組は召会建造の基層です。小組は召会の最も小さい単位です。リー兄弟の語りかけをよく聞くと、台湾で語ったことも、アメリカで語ったことも同じです。

小組の中で三つの内容があります。第一は、交わりです。交わりはとりなしの祈りをもたらし、とりなしの祈りは顧みと牧養をもたらします。第一に、小組の兄弟姉妹には交わりが必要です。リー兄弟がアメリカでバイタルグループについて交わった時、交わりに関する語りかけはとても多かったです。交わりに20分必要です。とりなし、顧み、牧養に40分必要です。リー兄弟の観点によれば、これらのものに60分必要です。

わたしたちの小組にはこの面がありません。聖徒たちが集まるとき、交わりがありません。アメリカでも台湾でも、リー兄弟の交わりは、互いに良く知り合う必要があることについて語りました。すべての人が自分の状況を交わることができます。霊的な状況、主の中の状況を交わります。しかし、兄弟姉妹が集まるとき、よく知り合っていません。実は互いのことを知っているようで知りません。それはわたしたちが交わることを知らず、交わることもできないからです。だれそれ兄弟の姉妹の状況を知っていますか? アメリカでは結婚した後、名字が変わるので、「だれそれ姉妹の旧姓がわかりますか?」と聞きました。旧姓がわからないと、その人の親がだれかがわかりません。何人の子供がいるかも知らないかもしれません。子供が何歳なのかを知っている人は少ないのです。なぜなら、交わらないからです。集会はするけど、交わりをしないからです。

集会は、だれかが始めなければ、始まりません。交わりは一人が来れば、始まります。例えば、ある兄弟がやって来て、「最近どうですか?」と聞けば、交わりが始まります。彼は何を話すべきでしょうか? 自分の生活の状況や霊的な状況で構いません。「最近、わたしの仕事がうまくいっていない、とか。コロナの影響で会社の収益に影響がでている」など。質問しなければ、相手は何も言わないでしょう。語れば、彼のために祈る必要があります。「主よ、兄弟の状況を覚えてください」と祈ります。収入の問題があるなら、顧みと牧養ができます。「最近どうですか?」と聞きます。どの面を聞いてますか? 例えば、「あなたの霊的状況を教えてください」などと聞くことができます。このように質問しないと、相手は言い出さないでしょう。あなたが聞かなければ、相手は言わないでしょう。彼は「わたしは最近、集会には来るけど、朝ごとができていません」と言うかもしれません。「あなたは個人の朝ごとができないのですか? それでは一緒に朝ごとをしましょう」と約束をして顧みることができます。「明日からの朝ごとを覚えてください」と祈ります。互いの交わり、とりなし、牧養があってはじめて、兄弟姉妹の相互の愛が出てきて、衝撃力が出てきます。

兄弟姉妹は、集会することについて、意識があります。主日も集会、小組も集会と思っています。もちろん、主の言葉の追求は良い面がありますが、聖徒たちの間の互いの関係はよく知り合っていません。互いに良く知り合っているようですが、知り合っていないのです。小組の第一の面は交わりです。親密で徹底的な交わりと祈りです。交わり、顧み、とりなし、牧養です。(参照、バイタルグループの緊急の必要に関する交わり上、78ページ)

 

小組の第二の面――相互性での真理の追求

二つ目は真理の追求です。これは、相互に質問し、相互に答え合うことにもたらします。みなさんの知らない二つの物語を言います。1985年、リー兄弟は小組を導きました。この交わりだけでなく、教えがなければ、命において成長することはできません。彼の関心は、小組の中で何を追求するかです。当時、回復訳聖書はまだありませんでした。リー兄弟は案配して、小組の追求の材料を編集しました。量はA4サイズの両面分です。月曜日には編集を終え、火曜日に3000枚印刷しました。第一集会所には、配布物用の棚があり、総執事室が案配します。当時21箇所あった各集会所は火曜日に取りに来て、各地で配りました。

二つ目の物語は、1992年にアメリカで小組を導いた時、彼は交わり、真理、教えについて生命課程を編集しました。生命課程を読むように勧めました。生命課程の第1課は約4ページです。2ページの見開きで大体A4サイズ一枚です。短いと思ってはいけません、真理の内容が詰まっています。小組の教材は、内容が長すぎてはいけませんが、堅固なものが必要です。追求が終わったら、互いに質問し合い、答え合います。リー兄弟が小組を台湾で導いたときも、アメリカで導いたときも、教材がありました。量は多くなく、A4サイズ両面です。本で言えば、4-5ページです。彼の導きは互いに質問し、互いに答える方法です。すべての人が真理に飢え渇きを持ち、追求し、構成されました。

 

小組の第三の面――福音と牧養

三つ目に、小組は普段、接触している人について交わることができます。交わりが終わり、教えも終わった後、三つ目はおやつを食べて終わるのではなく、兄弟姉妹の接触、福音についてどうであるかを交わります。例えば、「先週の福音の実行について交わってください」と聞きます。だれも話さなければ、だれも福音を伝えていないということです。それならどうしましょうか? 例えば、小組の中で負担のある人は、この状況に申し訳ないと思うでしょう。そして、福音の負担について交わることができます。聖徒を最初に導くのは、「まず家に帰ったら関心のある人の名前を5名挙げてください」と言ってもよいでしょう。次週に集まった時に、関心のある人について紹介してもらいましょう。小組に十人いれば、一人5人で、50名になります。二人同士で、バイタルグループの方法で紹介し合ったらよいでしょう。こうであれば、小組は奉仕の集まりとなります。

今の状況は、長老が召会を治め、責任者が祈りの集会を治めます。しかし第一線の兄弟姉妹はほとんど福音を伝えていません。わたしがいる所では、ある程度、効果があります。40%の人が出て行って福音を伝えています。しかし、すべての人ではありません。なぜでしょうか? 祈りの集会までしか押し広められていないからです。祈りの集会に来るのは平均3割であり、最大でも4割の人数に過ぎません。しかし、小組ではさらに多くの人たちが含まれており、その力は大きいです。小組が一番、人を顧みることができます。これは小組の機能の福音の部分です。

牧養の部分は、今日の小組にだれが来ていないのかを確認します。小組は家の中の集会であるべきです。このように言う、リー兄弟の根拠は二つの節、使徒行伝第2章46節、ヘブル人への手紙第10章24節から25節です。ヘブル人への手紙第10章は、自分たちの集会をやめてはならないと言っています。主日の集会は召会の集会であり、自分の集会は自分の家での集会です。

小組の三つ目の点は、牧養であり、来ていない人の家に行って牧養します。良い状況なら一緒に牧養シリーズを読みます。わたしたちの方法は責任者が集会を顧みて終わっていました。しかし、召会建造の基層が小組であるなら、召会生活は変わります。第一段階の交わりを通して、愛の関係を建て上げます。第二段階で、互いに質問し、答え合うことによって、真理の追求があります。そして福音と牧養の内容を通して、兄弟姉妹は訪問することができます。これが有機的な建造であり、すべての人の機能に到達し、普遍的な祭司職を実行することです。今、わたしはリー兄弟が言っている、「小組が召会建造の基層」という言葉の意味が何であるかがわかりました。普遍的な祭司の体系は小組が生きてきた時にはじめて、実行することができます。

 

陳洵兄弟の交わり:

リンホン兄弟の交わりに続きたいと思います。リー兄弟が主に召される前に、奉仕の結晶を残してくださいました。バイタルグループは勝利者の群れです。リー兄弟にとって小組とバイタルグループは同じです。召会を建造したいなら、必ず小組を強めなければなりません。なぜなら、小組は召会建造の基層であるからです。小組は召会建造の具体的な実行であり、召会建造の80%です。小組の中では交わりが必要であり、真理の追求が必要であり、成就が必要です。

すべての小組は家の中で行なわれるべきです。強い家だけで小組をしてはいけません。弱い家にも行く必要があります。福音友人の家も含みます。小組の全員が行かなくても構いません。交わって数名が行っても良いのです。三つ目に、小組はすべての人が機能する点にまで到達する必要があります。小組は、大きい集会が小さい集会になるのではなく、必ず、生養教の機能をもたらす必要があります。主日の預言までもたらすべきです。小組は一つの地区のようです。生養教から主日の「建」にもたらすことはすべて小組の中で行なわれます。

小組には三つ事柄があります。以前は、三つの要素と言いました。第一に、小組の中で親密な交わり、とりなし、顧み、牧養が必要です。これで神の要素がわたしたちに中に入ります。第二に、真理の追求が必要です。真理は互いに質問し合い、互いに答え合うことによります。第三に、福音と牧養が必要であり、これは奉仕の交わりとさえ言うことができます。わたしたちの小組は真理を追求したら喜んで帰ります。小組でキリストに満たされたら、必ず人について交わるでしょう。あなたの友人について、わたしの隣人について交わり、リストを挙げます。人について語り合うことによって、有機的な機能がもたらされます。主のしもべがわたしたちにもたらした道をわたしたちは尊んでいます。ですから、バイタルグループは一人から始まります。主の増し加わりに負担を持つ一人の人から始まります。召会生活の中で、バイタルで有機的になるためには、人を小組にもたらして有機的に行なう必要があります。

 

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