世界的な祈りに対するジェームス・リー兄弟からの励ましの言葉

世界的な祈り 務めの供給

親愛なる聖徒たち、ご存じのように、わたしたちはこの世界的な21日間の祈りの終わりに近づいてきました。同労者たちはこの期間を4月末まで延ばすことについて、良い感覚を持っています。主の心の中にはなおも、わたしたちの団体の祈りを通して解き放つ必要があるものがあります。この21日間の祈りであれ、30日間の祈りであれ、それ以上の期間の祈りであれ、このような訓練を通して共に祈ることによって、一つ思いで世界的に祈ることによって、主の回復の諸召会の聖徒たちは、神のエコノミーの中の召会生活の別の時期に、別のレベルにもたらされることができます。それはすなわち、強化の時期、勝利を得る時期、究極的完成の時期です。

 

啓示録において見られる二つの祈りの意義

わたしがこの時期に、主によって思い起こさせられている、啓示録の二つの祈りの出来事があります。啓示録第6章で、神のエコノミーの最初の四つの封印が解かれた後、この五つ目の封印において、祭壇の下の殉教者の魂の叫びが示されています。彼らは祈りの中で叫んで、過去2000年間にわたって迫害を受けてきたことに対する報復を神に求めています。また第8章では、御使いが多くの香を伴う金の香炉を持って、それを神にささげています。この金の香炉というのは、聖徒たちの祈りであって、それはキリストのかおりで満たされており、神にささげられます。その祈りは、この地上における神の最後の裁きを開始し、執行します。

わたしはとても主によってこれらの事を思い起こさせられ、印象づけられました。 神は、この時代の終わりに、ご自身のエコノミーにしたがって、地上において、この最後の裁きを執行したいのですが、人の祈りを必要としています。彼には、ご自身を解放し、彼の心にあるものを実行する祈りを必要としています。わたしたちの祈りがなければ、祭壇の下の殉教者の祈りがなければ、聖所の中の金の香壇の祈りがなければ、神は縛られていて、ご自身が行ないたいことを解放することができないかのようです。確かに、人の祈りを通して、神は協力を得て、この地上に対するご自身の最後の裁きを執行し、この時代を終わらせます。親愛なる聖徒たち、わたしたちの祈りは何と重要でしょう! ご存じのように、神はこの時代を終わらせたいと願っていますが、十分な祈りがなければ、わたしたちが啓示録のこれらの事例で見てきたように、神にはこの裁きをエコノミーにしたがって執行する自由がありません。

 

主はわたしたちを圧迫して、神の御前で祈るようにさせる

わたしたちはこのパンデミックを経過してる時、多くの制限や試練に苦しんでいますが、主はわたしたちを圧迫して、わたしたちが神の御前で祈るようにさせているかのようです。この地上の人々は今さらに制限され、外側の活動と行動を規制されているようです。わたしたちには、多くの時間を祈りに費やすこと以外に選択肢がありません。わたしは、リー兄弟が啓示録のライフスタディメッセージ第23編で語っていることを思い出しました、「最終的に、このような祈りが必要になるでしょう。わたしたちがみな、このように祈らないではおれなくなる時が来ようとしていると、わたしは信じます。わたしはあなたがたに、今日このように祈るようにと命じることができません。それは、あなたがたが今はまだこのような圧力の下にいないからです。しかしある日、その圧力がわたしたちに加わるでしょう。すると、わたしたちはこのように祈る負担を持つでしょう。これは終わりが近いことを示します。なぜなら、わたしたちの霊が、その事態にそれ以上耐え切れなくなるからです。その時、わたしたちは主に、ご自身を弁明し、すべての反逆者たちに彼が神であることを知らせてくださるようにと祈るでしょう」。

聖徒たち、今がその「ある日」です。わたしたちは圧迫されて、祈ってきました。少なくともわたしは、このように感じています。わたしはすべての聖徒たちと共に、この21日間の世界的な祈りに加わっていた時、内側のこの圧迫が、わたしたちを圧迫して祈らせている、と感じていました。これはとても良いのです。この事は、神が行なっていることです。制御不能なパンデミックの拡大が全地に蔓延しています。神に祈ること以外に、だれもそれに対して何もすることができません。ですから、今が、わたしたちが祈るべき「ある日」です。今は確かに、強化の日々であり、勝利を得る日々であり、究極的に完成する日々です。

 

祈りは神の手続きの時代を神の心の願いの時代へと転換させる唯一の手段である

リー兄弟は「わたしたちが苦難を経過するとき、思い出す必要があるのは、自分たちが手続きの時代を、神の手続きの時代を生きているのです」とも言っています。神は、ご自身のエコノミーに関する多くの重要な事柄が達成されるために、この手続きの時代を必要としています。その最終目標は、わたしたちが神の心の願いの時代の中へと、すなわち、満了の時代の中へと入ることです。祈りは、わたしたちが神のこの手続きの時代を経過する唯一の手段です。神の行ないたいすべての事を祈り出すために、神のこの手続きの時代において、御言葉の啓示にしたがって、わたしたちには少なくとも七つの項目が必要です。これらは、神が完成したい極めて重要な事柄です。第一に、反逆的な諸国民を裁いて、腐敗した地を一掃することです。第二に、ご自身の選民を取り扱い、純粋にすることです。それは彼がご自身にとって尊い宝を得るためです。第三に、神の子供たちの命における成長と円熟の速度を上げ、加速させることです。それは、もはや彼らが幼子と子供たちのままでいることがなく、完全に成長した人になるためです。第四に、わたしたちが神ご自身の有機的なからだを建造し、団体の一人の新しい人を成し遂げて、キリストの豊満の身の丈の度量に到達し、ご自身の表現と代行となることです。第五に、花嫁、美しくされた花嫁の用意を整えることです。それは、花嫁が用意を整えて、花婿を迎えるためです。第六に、この手続きの時代において、全地に神の王国の福音が証しとして宣べ伝えられることです。第七に、神がこの手続きの時代において勝利者を生み出して、敵サタンを打ち破り、服従させて、彼のすべての邪悪なわざを破壊することです。ですから、わたしたちはこの神の手続きの時代を経過するときに、多くの苦難と患難を受けますが、訓練して祈り、そしてわたしたちの祈りを通して、神の心の願いの時代にもたらされるようになります。それは、神が妨げられることなく、神のエコノミーにしたがって得たいもの得ることができるためです。

 

神が今日待ち望んでいる祈りは、個人的なクリスチャンの祈りではなく、団体的なからだの祈り、一人の新しい人の祈りである

わたしたちが今日まで加わってきた祈りは、今日の多くのクリスチャンがささげているような、普通の祈りでも、一般的な祈りでもありません。約100年前にもパンデミックがありました。その時、おそらく、無数のクリスチャンが日々、そのパンデミックの終息のために、また人類の命が守られるために祈っていたことでしょう。多くの人が霊的な、個人の、追い求めるクリスチャンとして祈りました。しかし、今から約90年前に、ウオッチマン・ニー兄弟とウイットネス・リー兄弟が起こされるまでは、わたしたちが彼らの務めを通して、からだとしての、また一人の新しい人としての召会についての光と啓示にもたらされることはありませんでした。神が今日待ち望んでいる祈りは、多くの個人的なクリスチャンが助けを求めて祈ることではなく、団体的なからだ、さらには団体のパースンである新しい人が神の心にあるものに応答して、彼のみこころにしたがって、彼と一の中で祈り、神の願われることを執行することです。このような祈りは100年前には見られませんでした。しかし、今日わたしたちはキリストのからだの時代に生きており、一人の新しい人の時代に生きています。この事柄に関して数年間語ってきましたが、神はただ単にからだや一人の新しい人に関する教えや啓示だけでとどまるのではなく、わたしたちをキリストのからだと新しい人の実際と実行の中へともたらしたいのです。

 

一人の新しい人の祈りにあずかる高貴な召し

このコロナウイルスは全地に広がっています。そこにはその人種、肌の色、言語、人を偏り見ることがないかのようです。今日それは国境を越え、境界を越え、障壁を越えて、どんな人も偏り見ることもありません。このような環境の下でわたしたちは祈らざるを得ません。個人の、分離した、追い求めるクリスチャンとしてではなく、一つからだとして、一人の新しい人として共に祈っています。わたしたちは中国のためとか、韓国のためとか、イタリアとか、アメリカのために祈っているのではなく、全地における神の権益のために祈っています。東洋も西洋も、北半球も南半球もありません。中国人も、アメリカ人も、メキシコ人も、フランス人も、ドイツ人もありません。わたしたちはみな地の至る所にいる一人の新しい人です。わたしたちがこのような21日間の世界的な祈りに加わることを呼びかけた時、この事実を考えて欲しいと思います。わたしは一人の追い求めるクリスチャンとして祈ってるのではなく、キリストのからだの一肢体として、全地の兄弟たちと共に祈っているのです。この召しは高いものです。これは高貴な召しです。わたしはこのような団体の一人の新しい人の祈りにあずかることができることを特権であると感じます。

 

神が求めているのは重みのある祈り、権威を伴った命令する祈りである

これらの日々に神が求めているのは、多く祈ることや、たくさん祈ることや、多くの人が祈り、長く祈るだけではなく、神が求めているのは重みのある祈り、引き上げられた祈り、大いなる祈り、戦略的な祈りです。神がわたしたちに学んで欲しいのは懇願するような祈りではなく、神に命じる祈り、権威を伴った命令する祈りです。イザヤ書第45章11節は、「わたしの手のわざについて、わたしに命じよ」と言っています。神は彼の民が彼に命じることを願っておられます。しかしこの終わりの世紀において、何人の神の子供たちが神に命じる祈りを知っているでしょうか? この終わりの時代、究極的な完成の時代に、神はキリストのからだを建造して、一人の新しい人を成就しつつあり、わたしたちは祈る地位に置かれています。わたしたちは個人のクリスチャンとしてではなく、団体のからだとして神に命じる祈りをすべきです。これを神は待ち望んでおり、このような祈りを聞きたいと思っています。

多くの事が天でまだ保留されており、それは解放される必要があります。神は団体の人が地上で神の心にあることに呼応し、祈りを通して神の心の願いを発表することを待ち望んでいます。わたしは何人の聖徒たちがこの30日間の祈りが終わった後に、祈りを継続するかわかりません。このうまずたゆまず、24時間祈ることを継続するかわかりません。わたしが望むのは、この30日の後なおも、この祈りを味わい、この負担の中に入り込んだ多くの兄妹姉妹たちが祈りを継続することです。わたしたちは祈りを堅く持ち続け、うまずたゆまず祈り、根気強く祈り続け、今日の団体のダニエルとなりますように。それは外側の案配や、もう21日間やもう30日間祈るという案配ではありません。また何人が祈るかの問題ではありません。それはどれほど長く祈るかの問題でもありません。それは重みのある方法で、戦略的な方法で、神の心にあることに触れる方法で祈ることです。これこそ神が必要としていることです。

 

絶えず祈るためには、霊と信仰を必要とする

わたしたちはこの時期を経過しており、非常に長く感じます。わたしたちには制限があり、苦難があり、このパンデミックの環境の中にいます。わたしたちは弱くなりがちです。主は祈りの中で起きていることができず、寝ていた弟子たちに言われました、「霊は強く願っていても、肉は弱いのである」。これは、祈りが霊の事柄であることを示しています。わたしたちは霊が引き上げられ、強められるように祈るべきです。ゼカリヤは、嘆願の霊を注ぎ出してくださいと祈りも求めました(12:10)。このような祈りの霊が召会を満たし、聖徒たちを満たしますように。わたしたちは七倍に強化される必要があります。そしてこの霊だけでなく、多くの信仰も必要です。わたしたちは強められた信仰を持つべきです。神の願いを信じ、目に見えないものを信じます。それはこの地上にあるものや、経済がどのように回復されるかとか、どのように秩序が保たれるかを信じることではありません。わたしたちの信仰は天に、神の心の中に、また神の王国の中にあります。それは揺り動かされない、変わることのない堅固な王国です。

どうか主がわたしたちにこの十分な恵みとあわれみを供給してくださり、わたしたちが霊をもってすべての兄妹たち、全地の兄妹姉妹たちと一つ思いで祈り、霊と信仰をもって祈りますように。主が天のみこころを地にもたらしてくださいますように。この世界的な祈りの時期は四月の末で終わりますが、この祈りの負担は継続します。それはわたしたちが神の心の願いをすべて達成するまで続きます。そしてわたしたちは成就の時代をもたらし、究極的完成の時代をもたらし、神の心の願いの時代をもたらします。どうか主がわたしたちを祝福し、わたしたちに忍耐力を与えてくださり、わたしたちが根気強く祈ることができますように。わたしたちが団体の人となって、彼の心にあることに応答しますように。主が天のみこころを地上にもたらしてくださいますように。主がわたしたちを祝福してくださいますように。

(ジェームス・リー兄弟の交わりより。出典:https://unceasinglypray.org/updates/

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