世界的な祈りへの召し

世界の祈り 務めの供給

「エルサレムよ、あなたの城壁の上にわたしは見張り人を立てた.昼も夜も絶えず、彼らは決して黙していない。あなたがた、エホバに思い起こしていただく者たちよ、黙っていてはならない.彼がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを賛美とされるまで、彼に沈黙を与えてはならない。」――イザヤ62:6-7

 

神の召会は、神に祈り、イエス・キリストの福音を人に宣べ伝えるという、二重の戦略的な使命を持っています。わたしたちは人と接触する働きにしばしば焦点を当てますが、召会の祈りの務めは実は、それよりはるかに重要です。地上の現在の状況は、主の回復におけるすべての聖徒たちが召会の軽視されてきた機能を果たすために立ち上がることを求めています。その機能とは、主の地上の権益の前進のために祈りの中で神と協力することです。そのために、わたしたちは世界中の召会の聖徒に、2020年4月1日から4月21日まで毎日15分の時間枠にサインアップして、個人で、または仲間と一緒に祈ることを求めます。わたしたちは何のために祈るべきかについていくつかの提案をしますが、まずは主が必要とする種類の祈りの基本的な理解に入りましょう。

 

あまりに多くの時、わたしたちは祈りを、特定の霊的な、または実際的な必要に気づいているときに、奉仕の方法で、個人的に、あるいは他の人と共に、あるいは召会として、主のために何かを成し遂げたいときに行なうものであると考えています。これらのことへの祈りは正しく、必要なものですが、新約で最も深く、最も深い祈りは、何よりもまず、聖徒たちにおける神の働きと、神の地上の働きに対するものです(ピリピ1:19-11、エペソ1:15-23、3:14-21、使徒4:24-31、エペソ6:18-20、コロサイ4:2-4)。とりなしの祈りは、キリストの天の務めと協力する事柄です。そのような祈りは、キリストに対する召会の奉仕の頂点です。キリストは天でとりなす方として、彼の願いを反映するために地上の彼の民を必要としています。マタイによる福音書第18章18節は言います、「まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたがたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである」。ウオッチマン・ニー兄弟は、この節から、天の神が召会の祈りを通して地上でみこころを行なうことを待っておられることを、わたしたちが知るのを助けてくださいました。天で何かが縛られていたり解かれたりしているかもしれませんが、それが地上で縛られたり解かれたりすることができるのは召会の祈りを通してのみです。

 

啓示録は、神がこの時代を完了させるにあたっての神の神聖な統治を示しています。この書では、召会がそれほど多くの活動を行なっているのを見ません。むしろ、わたしたちは神の行政上の行動に関連した祈りを見ます。聖徒たちの祈りは、キリストの昇天と神のエコノミーの巻物が開かれる天の場面にあります(啓5:8)。神は、殉教した聖徒たちの叫び(6:9-10)に応答し、大患難の始まりを告げる第六の封印が開かれます(12-17節)。「もう一人の御使い」としてのキリストが、御座の前に自分自身を香として聖徒の祈りをささげた後、火が地に投げられ、続いて超自然災害が起こり、地とその住民に対する神の裁きの始まりが示されています(8:3-5)。いずれの場合も、言及されている祈りは時代の意義があり、祈りによって神はご自身の行政を行なうことができるのです。

 

主はこの時代を終わらせ、地上に彼の王国を確立することを望んでおられます(啓11:15; 12:10)。彼は十分な数の信者が彼の花嫁として、また彼の軍隊として準備されるのを待っています(啓19:7、14)。さて、これまで以上に、わたしたちはマタイによる福音書第6章9から10節にしたがって御父に、彼の御名が聖とされ、彼の王国が来て、そのみこころが地で行なわれるように求めるべきです。一方で、現在世界中で大混乱を引き起こしているパンデミックは、主から諸国民への警告です。もう一方で、それは主から彼の民への一つの召しであり、主の使命を果たして、香の祭壇で昇天したキリストと一となり、とりなしに応答するようにとの呼びかけでもあります。

 

聖書は、創造されたアダムの種族、召されたアブラハムの種族、そして召会全体がすべて、神と協力して神の定められた御旨を達成することに失敗したことを示しています。このため、啓示録第2章と第3章で、主は勝利者を求められました。わたしたちは、神の動きが勝利者にかかっていること、そして勝利者の特筆すべき特徴が彼らの祈りであることを認識しなければなりません。啓示録第6章で祭壇の下で叫んでいる殉教した聖徒たちは、第12章で勝利者の男の子となり、この男の子が天に上げられると、サタンは投げ落とされます(12:5、9)。今日の主の回復の一つの面は、主と完全に協力し、神の定められた御旨が達成され、主が戻って来ることができるような勝利者を生み出すことです。わたしたちは天の大祭司であるキリストに応答し、地上で神の御座から出て来るものを祈ることによって神と協力するために、神の家の香の祭壇で祈る勝利者でなければなりません。

 

主の回復における召会の聖徒たちはみな、勝利者を志すべきです。しかし、そのような霊的戦士は一夜にして生まれるものではないことを認識しなければなりません。わたしたちは祈りと戦いの能力を建て上げる必要があります。わたしたちの多くが受けている前例のない制限は、わたしたちの個人の祈りと団体の祈りの両方を回復し、高める機会をわたしたちに与えるための主の主権であると信じています。新約聖書を注意深く読むと、獄中から供給する使徒パウロの能力がかなり制限されていたが、多くのことを祈ったことに気づくでしょう。同様に、ニー兄弟は30年間、公の務めを行ないましたが、彼の人生の最後の20年間は刑務所の中で、彼の周りの人たちに限られた方法で仕えることしかできませんでした。それでも、その投獄の期間中、彼は隠された祈りの務めでとりなしのキリストに加わることができました。

 

わたしたちは、神のすべての備え、その霊の満ちあふれる供給、召会を建造するための命の成長のための霊的な供給としてこの務めから得た豊富を見るのに慣れています。これは間違いではありませんが、これらすべてのことは召会の最も重要な祈りの務めを遂行するために、わたしたちを強化するためでもあることを理解する必要があります。わたしたちは聖書を読み、油塗りを知り、時代の務めによって養われる必要があります。それは、わたしたち自身の意志にしたがってではなく、神のみこころにしたがって祈る方法を知ることができるためです。わたしたちはみな主の臨在を望んでいますが、主の御名の中で集まるときに主が共におられるという約束は、二人また三人が互いに調和一致し、神のみこころと調和して縛り解く祈りをささげるという文脈にあることを認識してください(マタイ18:18-20)。

 

最後に、わたしたちは祈りの中で主に加わるとき、列王紀上第8章48節のソロモンの祈りを覚えておく必要があります。それは、神の民が神に祈るとき、聖なる地に向かって(神が彼の民に割り当てた分け前としてキリストを予表する)、聖なる都に向かって(キリストにある神の王国を予表する)、聖なる宮に向かって(地上における神の家、召会を予表する)祈る必要があることを語っています。これは、神へのわたしたちの祈りが、神の永遠のエコノミーにおける目標としての、キリスト、神の王国、神の家に向けられているとき、神がわたしたちの祈りを聞いてくださることを示しています。これは、わたしたちが誰のために祈るにせよ、わたしたちの祈りは地上の神の権益、すなわちキリストと召会に向けられるべきであり、彼のエコノミーの成就のためであるべきだということを意味します。

 

兄弟姉妹、わたしたちは前進する必要があります。わたしたちは、この祈りの務めを個人的に、そして互いに建て上げることを、これらの日々の間に慎重に検討すべきです。わたしたちの不足は、個人なものであろうと団体なものであろうと、すべて祈りの欠如に起因しています。現在、わたしたちはそれほど強く、あるいはそれほど長く祈ることができないかもしれませんが、わたしたちが直面する制限は、わたしたちに忍耐する思いがあるなら、祈りの能力を建て上げる道をわたしたちに与えることができます。さらに、わたしたちは物理的には孤立しているかもしれませんが、主はわたしたちに現代の技術を通して一緒に祈る道を与えてくださいました。この機会をつかむには、時間の予算を立てて、定期的に祈ることを訓練する必要があります。

 

主の回復における召会の聖徒たちは、このような祈りに入る準備がこんなにもできたことは一度もありません。今日、これまで以上に、同労者と地上の諸召会の間には、強い一つ思いと豊かなブレンディングがあります。わたしたちは、わたしたちの昇天したかしらであるキリストに加わって、一つからだとして、また一人の新しい人として真に祈ることができます。わたしたちは共に神のすべての武具を身につけて、暗やみの支配者と権威者、そして天上の悪の霊の勢力に立ち向かいます。地上で神のみこころが成就されるように、あらゆる時に、あらゆる場所で、堅く祈り続けましょう。

 

ですから、この極めて重要な時期の必要を満たすために、わたしたちは主の回復におけるすべての大陸、国、地方のすべての聖徒に、この祈りの務めに目を覚まして、そして真剣に参加することを求めます。特に、わたしたちが望んでいるのは、多くの人がエルサレムの城壁の上に任命された見張り人として(イザヤ62:6)、この世界中の24時間の祈りにこの21日間、そして全地にイエスに対する賛美があるようになるまで、参加することを願っています。

 

「その香の煙は、聖徒たちの祈りと共に、その御使いの手から神の御前に立ち上った。その御使いは香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地に投げた.すると、雷鳴と声といなずまと地震とがあった。」――啓示録8:4-5

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