回復訳聖書

とりなしの祈り

15日: クリスチャン生活の基本的な面を 持つように祈る

すべての事を主イエスの御名の中で行なうことは、わたしたちのクリスチャン生活の基本的な面です。わたしたちは、わたしたちの日常生活の普通の事を、主の御名の中で行なっていると言うことができるべきです(Ⅰコリント10:31.エペソ5:20.コロサイ...
とりなしの祈り

14日: 主の御名の中で日常生活を過ごすように祈る

わたしたちは、日常生活において、また召会の中の奉仕において、すべての事を主イエスの御名の中で行なう必要があります。名はパースンを示すので、イエスの御名の中で事を行なうことが意味するのは、彼のパースンの中ですべての事を行なうということです(コ...
とりなしの祈り

11日: 最高の生活と奉仕を持つように祈る

神の栄光を現すことが、わたしたちの生活と奉仕の目的です。わたしたちが神に与えることのできる最高の生活と奉仕は、「すべて神への栄光のために行な」って、神を団体的に表現することです(Ⅰコリント10:31.イザヤ43:7.ヨハネ7:18.8:50...
とりなしの祈り

10日: 他の人を自分よりも尊いと 考えるように祈る

人々は、自分の地位、自分の家族の背景、さらには自分の霊性について、自分自身を尊重します。人々は、自分が他の人よりも高いという感覚を常に持っています。わたしたちは十字架の上にとどまって、日々、自己を十字架の終結の下にとどめる必要があります(ル...
とりなしの祈り

8日: 聖徒にとって供給の経路となるよう祈る

わたしたちがキリストを生きることによって、わたしたちの体においてキリストを大きく表現し、彼に表現を得させるなら、わたしたちは有力な要因、供給の経路となって、聖徒たちが命において成長し、主を享受することができるようにします(ピリピ1:20-2...
とりなしの祈り

7日: 主が表現されるよう祈る

パウロの生活と働きのすべては、彼自身を表現するためではなく、彼の知識、能力、その他の功績や長所を表現するためでもありませんでした。彼が何であったか、また彼が何を行なったかは、キリストを表現するため、さらにはキリストを大きく表現するためでした...
とりなしの祈り

6日: 喜びを維持するよう祈る

パウロはローマの獄に捕らえられていた時、キリストを大きく表現し、彼を監禁した者の目にキリストを大きく現しました。環境がどうであっても、パウロは喜びに満ちており、主の中で喜んでいました(参照、使徒16:23-26)。 使徒16:23 こうして...
とりなしの祈り

5日: キリストを大きく表現するよう祈る

キリストを生きて、彼を大きく表現することは、命におけるキリストの救いにあずかることです。この救いの中でわたしたちは、キリストを生きないという失敗から救われ、またキリストを大きく表現しないという失敗から救われます(ローマ5:10.ピリピ1:1...
とりなしの祈り

4日: すべての決定権を キリストに明け渡すように祈る

わたしたちがクリスチャンであることの標準は、正しいか間違っているか、良いか悪いかであるべきではなく、パースンであるべきです。極めて重要なことは、わたしたちが「何」をしているかではなく、「だれ」がそれをしているかです。わたしたちは、キリストを...
とりなしの祈り

3日: 生活のあらゆることの中でキリストにわたしたちのパースンとなっていただくように祈る

新しい人は肢体についてではなく(ローマ12:4-5)、パースンについてです。ですから、わたしたちはみな、「わたしのパースンはだれだろうか? わたしだろうか、それとも主イエスだろうか?」と問う必要があります(エペソ2:15.3:17前半)。 ...
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