キリスト

とりなしの祈り

10日: 神を食べ飲みするように祈る

神の民は神から飲んで神を享受するのではなく、彼に対して不忠信になって二つの悪事を犯しました―「わたしの民は二つの悪事を犯したからである.彼らはわたし、この生ける水の源泉を捨てて、自分たちのために水ため、水をためることがない壊れた水ためを掘っ...
とりなしの祈り

9日: 神を唯一の源泉とするように祈る

神を生ける水の源泉とする唯一の道は、日ごとに彼から飲み、彼を流し出すことです。これは、わたしたちが絶えず主を呼び求める(歌い、感謝し、歓喜し、祈り、賛美し、神の救う行為を他の人に知らせることをもって)ことを必要とします(詩36:8-9.イザ...
とりなしの祈り

7日: 神の信実さを享受するように祈る

神は信実であり、わたしたちを彼の御子の交わりへと、享受へと召していますが、多くの時わたしたちは、彼がわたしたちをご自身の意図へと召すことに対して不忠信です(Ⅰコリント1:9.エレミヤ2:13.哀3:22-24)。 Ⅰコリント1:9 神は信実...
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6日: クリスチャン生活の秘訣を享受するように祈る

コリント人への第一の手紙が啓示しているのは、神がすべてを含むキリストを、少なくとも二十項目の豊富をもって、わたしたちの分け前としてわたしたちに与えており、わたしたちに享受させるということです。クリスチャン生活と召会生活の秘訣は、わたしたちが...
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5日: 神の新約エコノミーに 集中するように祈る

一つの事以外のことを思うことは、神のエコノミーに反逆することです。神のエコノミーは、わたしたちが一つの事を思うことです。召会生活の中で、わたしたちはすべての聖徒が一つの事を思うように助ける必要があります。わたしたちの思うことは、召会生活、か...
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4日: 一つの事を思うように祈る

わたしたちは、「一つの事」を思っている者となる必要があります。ピリピ人への手紙における「一つの事」は、キリストに対する主観的な認識と経験と享受を指しています。一つの事とは、キリストを追い求めて彼を獲得し、彼を所有することです(ピリピ2:2,...
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3日: キリストを最大限に享受するように祈る

わたしたちの目標は、キリストを最大限に享受することと、キリストを最大限に獲得することであり、それはキリストのからだを建造するためです。これは、わたしたちが千年王国において、キリストをわたしたちの賞として極みまで享受するという結果になります(...
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2日: キリストに集中するように祈る

わたしたちはキリストに集中すべきであって、キリスト以外のいかなる人、物、事柄にも集中すべきではありません。わたしたちは、神によって割り当てられた、わたしたちの唯一の中心としてのキリストに焦点づけるべきです。それは、信者たちの間のすべての問題...
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1日: キリストを享受するように 祈るように祈る

コリント人への第一の手紙は、すべてを含むキリストを享受することが、召会におけるすべての問題に対する唯一の解決であることについての書です。神の回復における神の意図は、キリストを、神のエコノミーの唯一の中心として、またわたしたちにとってすべて(...
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30日: 絶えず主の中に住むように祈る

わたしたちが神ご自身である愛の中に住むとき、愛は「わたしたちの中で全うされました.それは、わたしたちが裁きの日に大胆さを持つためです.なぜなら、彼がそうであるように、わたしたちもこの世でそうであるからです」(Ⅰヨハネ4:17)。全焼のささげ...
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