キリスト

とりなしの祈り

18日: 主と接触し、主を吸収するように祈る

神のエコノミーによれば、神に信頼する者は、水のほとりに移植された木のようです。これは、神が生ける水の源泉であることを表徴しています。木は川のほとりで、その水のすべての豊富を吸収することによって生長します。これは、神の神聖な分与によって遂行さ...
とりなしの祈り

16日: 主に来て生ける水の源泉である主に触れるように祈る

水ためを掘ることが描写しているのは、イスラエルが人の労苦によって苦しみ、何か(偶像)を作って神を置き換えるということです。水ためが壊れて水をためることができないことが示しているのは、生ける水としてわたしたちの中へと分与された神ご自身がなけれ...
とりなしの祈り

15日: 観念を変えて谷間と山々を経験できるように祈る

水が「谷間と山々に流れて」いることは、生ける水としてのキリストがさまざまな環境の中で流れることを示しています。谷は、十字架の経験、すなわち、キリストの死の経験です。山々は、キリストの復活の経験です。「谷間、山々が必要です。谷間は小麦、十字架...
とりなしの祈り

14日: 流れる霊としてのキリストを享受するように祈る

すべてを含む霊としてのすべてを含むキリストは、「水の流れ、泉、源泉があり、谷間と山々に流れている地」です。水の流れ、泉、源泉は、流れる霊としてのキリストを表徴します。また、谷と山々は、さまざまな種類の環境を表徴しており、その中でわたしたちは...
とりなしの祈り

13日: 大麦としてのキリストを経験し適用するように祈る

小麦は、肉体と成って十字架につけられ葬られたキリストを表徴していますが、大麦は、復活したキリストを表徴しています。大麦は早く熟すので、それは収穫の初穂、すなわち復活した制限されないキリストの予表です。「小麦は制限されたイエスですが、大麦は制...
とりなしの祈り

12日: 制限し圧迫する状況のただ中で、小麦としてのキリストを経験するように祈る

申命記第8章8節前半の小麦が予表しているのは、肉体と成って十字架につけられ葬られたキリストです。キリストは、彼の満ち満ちた務めの肉体と成ることの時期において、無限の神を有限な人の中へともたらしました。わたしたちは、わたしたちを制限し圧迫する...
とりなしの祈り

11日: すべてを含むキリストを完全に所有し、享受する者となって命において成長し、造り変えられるように祈る

わたしたちは、命において成長して、すべてを含むキリスト(神の約束された地)を完全に所有し、享受する者となる必要があります。造り変えは、古い人を死に絶えさせ、新しい人を成長させることです。神のエコノミーは、わたしたちの古い人(外なる人)が朽ち...
とりなしの祈り

10日: 偶像礼拝から逃れるように祈る

わたしたちが良き地としてのキリストを完全に所有しようとするなら、使徒パウロがイスラエルの子たちが金の子牛を拝んだ偶像礼拝を指して言っているように、わたしたちは「偶像礼拝から逃れ」なければなりません。金の子牛は神の贖われた民が造った偶像でした...
とりなしの祈り

9日: 消極的な事柄から逃れてキリストの享受を得るように祈る

カレブとヨシュアだけがこの目標に到達して、良き地へ入りました。わたしたち新約の信者は、カレブとヨシュアのように、「目標(キリストに対する最も満ち満ちた享受と獲得)に向かって追い求め」、「賞(千年王国におけるキリストに対する極みまでの享受)を...
とりなしの祈り

8日: キリストの享受に極みまであずかるように祈る

神がイスラエルの子たちを召した目標は、彼らが約束の地へ入ってその地の豊富を享受して、神の王国を設立し、地上における神の表現となることでした。これが表徴している事は、わたしたちはキリストを通して贖われ、サタンの束縛から救い出され、神のエコノミ...
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