10月22日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

へブル4:14-16, 16節のノート1, 2

「こういうわけで、わたしたちは、天を通って行かれた大いなる大祭司、神の御子イエスを持っているのですから、その告白をしっかりと保持しようではありませんか。わたしたちの大祭司は、わたしたちの弱さに同情することのできない方ではなく、罪のないことは別にして、すべての面でわたしたちと同じように試みられたのです。ですから、わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを得るために、大胆に、恵みの御座に進み出ようではありませんか」。

疑いもなく、ここで述べられている御座は、天にある神の御座です(啓四・二)。神の御座は全宇宙に対する権威の御座です(ダニエル七・九、啓五・一)。しかし、わたしたち信者にとって、それは恵みの御座となり、それは至聖所の中にある(出二五・十七、二一)なだめの場所(あわれみの座)で象徴されています。この御座は、神と小羊の御座です(啓二二・一)。わたしたちは今、まだ地上に生きているのに、どのようにして天にある神と小羊、キリストの御座に近づくことができるのでしょうか? その秘訣は、ヘブル人への手紙第四章十二節で言われているわたしたちの霊です。天の御座に座しておられるキリスト(ローマ八・三四)は、わたしたちの中に(十節)、すなわち、神の住まいである(エペソ二・二二)わたしたちの霊の中(Ⅱテモテ四・二二)にもおられます。わたしたちの霊が今日、神の住まいであるからには、今それは天の門であり、その所でキリストは、わたしたち地上の民を天に結び付け、天をわたしたちにもたらすはしごです。ですから、わたしたちが霊に戻る時はいつでも、天の門の中へ入り、天のはしごとしてのキリストを通して、天における恵みの御座に触れるのです。
神のあわれみと神の恵みはいずれも、彼の愛の表現です。わたしたちがあわれむべき状態にある時、神のあわれみがまずわたしたちに届き、わたしたちを、神が彼の恵みを施すことのできる状態にもたらしてくださいます。神のあわれみはさらに遠くまで届いて、わたしたちと神の恵みとの間の隔たりに、橋渡しをします。
神のあわれみと恵みは常に、わたしたちのものとなることができます。しかしながら、わたしたちは霊を活用し、恵みの御座に来て、わたしたちのすべての弱さに同情することのできる大祭司に触れて、それらを受け、獲得する必要があります。

<抜粋>パンと魚

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