
神の召しは、選ばれた人において、神が最初に行なわれるこです。それは神が過去の永遠において、人に対する選びと定めを実現するためです。神は時間の中で、彼の主権の案配において、彼らを神の当初のみこころにもたらすために、彼の選ばれた人を召されました。今や神は、人に賜わるすべての祝福を受けさせるために人を招いておられます。もし、あなたがそのことを聞いたなら、ただ来てください。断らないでください……。
なぜわたしは断っているのだろうか?
親愛なる友人のみなさん、あなたはこんなことを考えたことはないでしょうか? 「わたしが福音集会に招かれたり、またはバプテスマを勧められたりするときはいつも、なぜわたしは多くの理由を出して断っているのだろうか? わたしは本当に福音が必要ではないのか? わたしは本当に神の子供となって、神の命を得たくないのか?」。実際に、どんな人であれ、「主イエスを信じる」ということに触れるとき、断る理由を考え、断ります。人は時間がないと言わないなら、体調が悪いと言います。仕事が忙しいと言わないなら、集会に行っても話が理解できないと言います。これらの理由は、あらかじめすでに用意されていたかのようです。誰かがあなたに主イエスを信じるように勧めると、あなたはすぐに逃れる理由を言います。
福音の宴席のたとえ
人々が主イエスを信じることにおいて断ることは、すでに聖書の中で述べられています。ルカによる福音書第14章において、主イエスは言われました、「ある人が盛大な晩餐を設けて、多くの人を招いた」(16節)。ここの「ある人」は神のことを言っています。「盛大な晩餐」は、神がわたしたちのために用意された救いであり、人々があなたに伝えている福音です。この晩餐は福音の宴席です。福音を聞くために多くの人を招いています。そしてあなたがこれら多くいる客の中の一人であり、招かれている一人です。
「そして食事の時に奴隷を遣わして、招いておいた人たちに、『おいでください.すっかり用意ができました』と言わせた」(17節)。福音を宣べ伝えている人は、ここで述べている奴隷であり、今あなたに、「おいでください。すっかり用意ができました」と告げています。そうです。友人のみなさん、「すっかり用意ができました!」福音の宴席には何でもあります。それは、あなたの罪の問題を解決することができ、あなたの心を満足させることができ、あなたに永遠の命を得させ、あなたに神からの祝福を享受させます。友人のみなさん、あなたが救いを得ることはとても簡単です。なぜなら、神はすでにあなたのためにすべてを備えておられ、あなたはただ受け取るだけで良いからです! 食事を用意することは手間がかかりますが、食事をすることは簡単であるのと同じです。あなたは食べるだけで良いのです! 神はすでにこの盛大な宴席を用意しました。神の御子である主イエスはすで、にあなたとわたしの罪のために十字架上で死に、贖いを成し遂げられました。今日のすべての問題は、あなたが神の召しに応じて、あなたのために彼が用意された救いを受け入れるかどうかにかかっています。
詩歌 驚くべき恵み
1.おどろくべきめぐみ! われをもすくう!
うしなわれたわれをたずね、 目ひらき見せる!
2.めぐみにておそれは 取りのぞかれた;
信じたときの、あのめぐみは、 なんととうとい。
3.めぐみをあたえると、 主は保しょうした;
主はーわれのたて、とわの分、 全生がい過ごす。
人の断り
他の人たちはどうでしょうか? これらの客は来たでしょうか? いいえ、彼らは来ませんでした。「すると、彼らは全員、いっせいに口実を設けて断り始めた」(18節)。ここでわたしたちは見ることができますが、主の救いに対して、人は常に断る理由を考えます。このことはとても不思議であり、また心が痛むことです。多くの人は多くの事柄に対してしばしば一致しませんが、主イエスを信じるこのことにおいては、みな一致して断ります。
わたしたちは細かくこれらの理由について見るとき、実はそれらはすべて成立しないことがわかります。一つ目は、土地を買ったので見に行く必要があるということです。二つ目は、牛を買ったので調べに行く必要があるということです(18-19節)。これらの理由はみな口実にすぎません。土地は先に見てから買うものであり、牛も調べてから買うものです。買った後に、見に行ったり、調べたりする人がいるでしょうか? もし、本当に見に行き、調べに行くなら、宴席の後に行っても遅くはないでしょう! なぜ彼らは宴席に招かれる時に行かなければならないのでしょうか? これがしばしば主の福音に対する人々の態度です。
わたしたちは三つ目がどうであるかを見てみましょう。「わたしは妻をめとりました.ですから、行くことができません」(20節)。これはさらにおかしいです。盛大な宴席を設けているとき、常に夫婦二人が招かれています。この人は妻をめとったなら、夫婦二人が共に宴席に行くことは理にかなっています。しかし、彼は妻をめとったから、行けないと言いました。この「めとったから、行けない」という理由は、理由ではありません。ここからも見ることができるように、主イエスを信じることに対して、人々は多くのとき、実は断る理由がないのに、何か断る口実を設けようとします。
友人のみなさん、あなたはなぜ今日になっても福音を聞きに行こうともせず、あなたの救い主としての主イエスを受け入れようとしないのでしょうか?
わたしはよくわからない
ある人はこう言います、「キリストの教理は聞いてもわかりません。わたしは聖書はよく理解できません」。友人のみなさん、あなたが聞きに来ようとしないのなら、理解できないのは当然です。それと同時に、聖書をすぐに完全に理解してから主イエスを信じるということも不可能です。あなたは自分が知らなければならないことだけをまず知る必要があります。第一に、あなたは罪人であり、主イエスに救われる必要があるということです。第二に、イエスは救い主であり、幾千万もの人が彼に救われたということです。心をかたくなにしている者、心が苦しんでいる者はみな彼に救われました。彼はすべての人の救い主です。彼もまたあなたの救い主です。第三に、主イエスを信じれば救われるということです。あなたが主イエスをあなたの救い主として受け入れるなら、必ず救われます。あなたはこの三つの事実を知ったなら、救われることができます。あなたが救われたなら、聖書を理解することができます。なぜなら、神の言葉はこう言っています、「神はすべての人が救われて、真理の全き知識へ至ることを願っておられます」(テモテへの第1の手紙第2章4節)。ですから、先に救われ、後に知るということです。それは、お腹がすいている人のようです。もし、先にご飯にどのような栄養があり、野菜にどのようなビタミンがあり、食べた後にどのようにして消化されるかということを研究するなら、彼は飢えて、餓死さえしてまいます。飢えているときは、まず食べる必要があり、それから食物にどのような栄養があることを知ることができます。ですから、あなたはまずこの主イエスを救い主として受け入れ、それから完全に真理を知ることができます。
わたしには罪がない
あなたはこう言うかもしれません、「主イエスは罪人を救いに来ましたが、わたしは生涯良心にしたがって生きており、罪を犯したことがないので、主イエスを信じる必要はありません」。しかしながら、聖書ではこのように言っています、「もし、自分には罪がないと言うなら、わたしたちは自分を欺いている」(ヨハネの第1の手紙第1章8節)。友人のみなさん、まことにあなたには罪がないのでしょうか? あなたはうそをついたことがないでしょうか? かんしゃくを起こしたり、人を恨んだりしたことがないでしょうか? 見るべきではないものを見て、聞くべきではないことを聞き、考えるべきではないことを考えたことがないでしょうか? あなたは本当に行ないが清く、心が清く、罪がないのでしょうか? 自分を欺いている人だけが自分に罪はないということができます。それはこの例証のようです。ある母親がある子供に白砂糖を食べてはいけないと言っているのに、彼の母親が家から出ると、彼は皿にある白砂糖をとって食べてしまいました。しばらくして母親が帰って来たら、彼はすぐに母親のところまで走って行き、「お母さん、わたしは白砂糖を食べていません」と言いました。しかしながら、母親は彼の唇を指して言いました、「あなたの口の周りには白砂糖がいっぱいついているのに、まだ食べていないと言うのですか!」。多くの人はこの子供のように自分を欺いています。あなたが犯した罪を知っている人は、全世界にだれ一人としていないかもしれませんが、知っている人は二人います。一人は神であり、もう一人はあなた自身です! あなたは表面的に良い人のようですが、聖書の中で挙げられているこれらの罪を考えて見てください、「彼らはあらゆる不義、邪悪、むさぼり、悪意に満ちており、また、ねたみ、殺意、争い、欺き、憎悪に満ち、告げ口する者、陰口を言う者、神を憎む者、不遜な者、傲慢な者、誇る者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者であり、無分別、不誠実、無情、無慈悲です」(ローマ人への手紙第1章29節ー31節)。あなたはいくつ持っているでしょうか? 友人のみなさん、主イエスはあなたのために十字架上で死に、あなたに代わって罪の刑罰を受けました。もはや自分を欺かないでください。早くあなたの罪を認め、悔い改めてあなたの救い主としての主イエスを受け入れてください!
わたしの罪は多すぎる
あなたは、自分が今まで犯した罪は頭髪より多いので、主イエスがあなたを見捨てるかもしれないと思うかもしれません。このようであるなら、あなたは福音が何であるかを知らずに神の心を誤解していることを示しています。主イエスはこのように言っています、「丈夫な人には医者はいらない.いるのは病んでいる人である.わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコによる福音書第2章17節)。主イエスは、罪人を招くために来ました。病が重ければ重いほど、医者はますます彼に関心を持ちます。友人のみなさん、主イエスはあなたの罪が多いことを恐れているのではなく、あなたが来ないことを恐れています! なぜなら、主に来る者を、主は決して追い出しはしません(参照、ヨハネによる福音書第6章37節)。
もう一つ、力強いパウロの証しがあります。彼はこう言いました、「『キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた』という言は信実であって、全く受け入れるに値します.わたしはその罪人のかしらです。しかし、わたしがあわれみを受けたのは……」(テモテへの第1の手紙第1章15―16節)。パウロは自分を「罪人のかしら」と言っていますが、彼はあわれみを受けて救われました。聖書はわたしたちに告げていますが、淫婦が悔い改めるなら、救われることができます。強盗が悔い改めても救われることができます。なぜなら、主イエスが地上に来られた目的は、罪人を救うためであるからです。彼は罪人の友であり、罪人の救い主です。
友人のみなさん、あなたは自分の罪が多すぎると思っていませんか? そうであるなら、あなたは主イエスがあなたをいやし、救う必要があるということを証明しています。今、あなたのありのままで主イエスに依り頼んでください! あなたが悔い改めて信じるなら、彼は必ずあなたを歓迎し、あなたを救います。・
わたしはあるクリスチャンたちの行ないが悪いことを見た
友人のみなさん、わたしたちはこのことを認めます。そしてそれはとても心痛いことです。それは、いわゆる主イエスを信じている人の品行が良くないということで、あなたが主を信じたくないということです。しかし、わたしたちはあなたに主イエスを信じてほしいのであって、あなたに、あるクリスチャンを信じてほしいのではありません。わたしたちは、あなたに直接、主イエスがどうお方であるかということを見てほしいのです。あなたが主を信じた後に、すばらしいクリスチャンとして主の名に栄光を帰すようにと願います。わたしたちは、ある失敗をし、堕落したクリスチャンのゆえに、あなたが救いを失うことを願いません。親愛なる友人のみなさん、一人、もしくは何人かのクリスチャンの行ないが悪いとうことのゆえに、あなたが救われる機会を失うことがありませんように。
わたしは主イエスを信じたいが、他の人にあざ笑われることを恐れている
友人のみなさん、主を信じることでなぜ他の人の感覚を恐れる必要があるのでしょうか? 主を信じることは正々堂々としていることであり、他の人にあざ笑われることをなぜ恐れる必要があるのでしょうか? 今日あなたは人を恐れていますが、ではあなたは神を恐れないのでしょうか? 神は人の罪を裁きますが、それでもあなたは恐れないのでしょうか? 神は人の魂と体をゲヘナで滅ぼすことができますが(マタイによる福音書第10章28節)、それでもあなたは恐れないのでしょうか? 聖書はわたしたちに告げていますが、将来多くの人が火の池の中に入るのは、「臆する者」(啓示録第21章8節)がいるからです。これらの臆する者は、人のあざ笑いを恐れているので、主イエスの名を認めず、彼の救い主としての主イエスを受け入れませんでした。それによって、彼らは救いの機会を失ったのです。
わたしは主イエスを信じるが、少し待ってほしい
親愛なる友人のみなさん、聖霊はすでにあなたの心の中で働いています。あなたはいつまで待つのでしょうか? あなたは自分が何年、何月、何日まで生きられる保証を持っているでしょうか? あなたは将来まで待ってほしいといいますが、あなたの将来はあとどれくらいあるのでしょうか? あなたはこの一年の内に事故が起きない保証はあるでしょうか? あなたはこの一ヶ月の内にこの世を去らない保証はあるでしょうか? 友人のみなさん、あなたは感動し、主イエスを信じるべきであるとわかっているなら、なぜ今日、今この時に信じようとしないのでしょうか? 「見よ、今は喜んで受け入れられる時です.見よ、今は救いの日です」(コリント人への第2の手紙第6章2節)。今はあなたがキリストを、あなたの救い主として受け入れる時です。
機会を失ったなら、将来いつあるかわかりません。多くの人は、実にキリストを信じない理由がありません。彼は自分に罪があることを知っており、火の池の刑罰を恐れています。また、彼はキリストを信じたなら、彼の罪は赦されることも知っています。しかし、彼は少し待ってほしいと言い、それによって月日が去ってしまい、機会を逃してしまいました。彼は救われるべきであることを知っていましたが、決意せずに遅らさせてしまい、結局永遠の滅びに入ってしまいました。友人のみなさん、あなたは今、何を待っているのでしょうか? 死の戸口まで来てから信じるのでしょうか? 待たないでください。待ってはなりません!
今、主イエスの御前に来て、信じる心をもって、彼をあなたの救い主として受け入れてください。「主よ、わたしは罪人です。滅ぶべき者でしたが、今わたしを救ってください」と祈ってください。友人のみなさん、あなたがまことにこのように祈るなら、主は必ずあなたの祈りを聞いてくださいます。
親愛なる友人のみなさん、今もまだ招かれています、「来てください.すっかり用意ができました!」。もはや断らないでください!
JGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第2期第4巻より引用


